2010年

8月

21日

コラムVol.6 陳威志 (一橋大学社会学研究科 修士課程)

 

 

台湾からの便り

 

韓国、中国ほど人口は多くないのにも関わらず、

日本に旅行に来る台湾人は年間一位占めたことがあると聞いている。

日本への憧れを胸に、まずは、東京や大阪などの大都市からはじめて、

だんだんとその他の地方にも足を伸ばしてゆく。僕もその中の一人だった。

でも僕の場合、仕事の関係で2回目にしてすでに、

「桃源郷」のようなきれいなところに行くチャンスを得ることができた。


20063月初春の祝島訪問は不思議な経験だった。島国中の離島。

人々は深い人情や伝統を持つのだろうかと、行く前から想像を膨らませた。

この旅は、台湾第四原発反対運動に取り組んできた

台湾の環境団体と日本の住民の交流企画だった。

台湾の反対運動に関するドキュメンタリーを通じ、

お互い励まし合うことができればいいな、と思っていた。


亜熱帯出身者にとってはまだ辛い寒風に震えながら、やっと着いた。祝島!

想像した以上澄んだ海にうっとりした。

船上からは、埠頭越しに「原発反対」と書かれた看板が

眼前の海を睨んでいるのがちらりと見えた。

上陸し、澎湖(台湾の離島)にある咕佬石頭屋のような道を渡り、

ほどなくして今日泊まる民宿にたどり着いた。

漁協組合長山戸貞夫さんと議員清水敏保さんたちはもう玄関で私たちを待っていた。


当時の僕は日本語をまだ全く理解できなかった。

そのことが、かえって視覚を鋭敏にしたのかもしれない。

今なお深く残っている印象は、清水さんのまっすぐ立っている姿勢であった。

軍隊から退役したばかりの私には、そのような直立する身体というものは

軍隊においてのみ存在するものではないかと思っていた。

清水さんを含む島民たちがこの島を守る決心は

我らが台湾という国を守ることよりも、強く剛毅であろうかとさえ想像できた。

かつて台湾の地方によくいたボスの顔つきと似てた山戸さんを見て、

さらにその感を強くした。僕は粛然として自然と襟を正していた。


その日の夜、台湾のドキュメンタリーを見てくれたお年寄りたちの

あまりに素朴な様子もまた、僕には意外なものだった。

この素朴なお年寄りたちが、長年激しく戦ってきた。

「いったいどんなことがあって、このような普通の、

高齢な島民が必死に抵抗しなければならなかったのだろうか。」と自問した。


 社会運動の後ろには何があるのか。

大きな精神力と必要とし、気力なしにはやっていけない活動を

支えているものは何だろうか。


 そんな疑問は、台湾に戻ってからも、

第四原発の反対運動を支援しながら、常に脳裏に浮かんできた。

それが一つのきっかけとなって、僕は2008年末、日本に来て日本語を勉強し始めた。

研究者として、島のことを「文字撮影」してまとめ、

より学術的世界に広げようと考えていた。


 一年半が経ち、日本語がようやく分かるようになってきた時点で、

纐纈監督のドキュメンタリーに出会い、

祝島にいる島民たちの生活の姿勢を見ることができた。

島民としての生活の中に根を下ろした哲学。

それが運動を支えるのではないだろうか、と考え始めた。

作中の、萬次さんの言葉にすごく共感した。

「人間の一日の生活は一番大切ですよ。」

長らく進んできた台湾の第四原発反対運動では、

政治問題の側面が強く感知される反面、

住民・貢寮人の日常生活は見落とされがちだったのではないだろうか。

そう気づかされた。


お祖父さんの亀次郎さんが持つ棚田の論理が現れる深さにもまた驚いた。

「米さえあれば生きられる。だから子孫のために、棚田を築き上げる。

もし曾孫の代になったら、耕作の人がなくなってもまた野に還ることできる

この言葉と、原発推進で言われる「核廃棄物の処ないが、近い未来、

必ずできる。原発は悪なんだけど、必要だ」ということ言葉を対置させて見ればいい。

この論理がいかに出鱈目なものなのかが自然に映し出されるに違いない。

もう一つ。映画の中のあるシーンに、僕は特に惚れ込んでいた。

小学生の入学式を描いたその場面は、

島を継いでゆく新しい力が芽生えている象徴的なシーンであった。


『祝の島』というドキュメンタリーは纐纈監督のやさしい態度が反映されつつも、

鋭敏な視点もまた失なわれていない。

インタビューであれ、農事の撮影であれ、

島の向こうにある原発の予定地の映像が巧みに織り込まれていた。

そもそも、島の向こうの原発予定地は、日が昇るところであり、

生命力をあらわす東方であるが、

そこがこれから、科学技術の功罪の両面性を代表する原発に覆われようとしている。

カメラが静かにこの予定地を映し出す瞬間、

観客の私たちの気持ちは島の視点に変わって行く。

映像、波の音、鳥の声、様々なものが観客の心の中で静かに再合成されているうちに、

自然と反対運動の論理が伝わってくる。

論理的な面から原発反対を推し進めることに馴染んでいた僕は、

自分の説教くささに気づかされていた。

人々の運動はこういった日常生活の中で展開していっている。

纐纈監督が見せてくれた人々の「生活誌」は、

まさに自分自身に欠けていた視点であった。


いったい僕はなぜ「生活」を見てこなかったのだろう?

それは、台湾の歴史展開に関係がある。

台湾の原発反対運動は長年に渡って、民主化運動とともに進んできた。

主な戦場は国家・行政との交渉の場である。国会、街頭での攻防が主な舞台だった。

いつの間にか運動の中から、

貢寮の人は実際にどんな生活をしているのかというような、

ものすごく基本的なことはこぼれ落ち忘れ去られていってしまう。


世間を離れた平和な別天地。瀬戸内海で浮かぶ小さいな島・祝島は、

まるで中国古典文学に書かれた『桃源郷』のようだった。

もしも原発による紛争がなかったならば……。

2006年祝島を訪れた当時、政治に翻弄され台湾の反原発運動に落胆していた僕たちは、

まさに、こういう島にしばらく避難し、

台湾の運命、原発にかかわる人間の未来を

考え直そうとしたいとも思っていたころだった。

本当は、祝島・上関町・日本は、そんなに容易な状況ではないと知っていたけれど、

僕は勝手にこの感情を島に託していた。

今年の春、『祝の島』を見て、当時台湾のドキュメンタリー 

『貢寮、こんにちは』を見に来た多くのお年寄りのことを思い出した。

その時の写真を確かめると、『祝の島の中で映されていた伊藤さん、

正本さん、民子さんが、その日出席していたことが分かった。

写真を眺める僕の頭に、会場に響く彼らの元気な笑い声や泣き声が浮かんできた。

その当時は話ができなかったけれども、今回の『祝の島』を通して、

彼らは、僕に話しかけ、原発反対運動の背後に実際に存在する人間像、

そして日々の営みを見せてくれた。


祝島の皆さん、纐纈監督、ヒントを与えていただき、ありがとう!

これから、僕の「文字撮影」も始まります。


          陳威志(ダン・ウィジ)一橋大学社会学研究科 修士課程
          最近の活動: 日本見聞

 


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コメント: 2
  • #1

    沢村和世 (日曜日, 22 8月 2010 15:56)

    9月23日の「祝の島」下関上映会に向け、懸命に取り組み中。ところで、私たちは06年3月17日に台湾第4原発反対運動のドキュメンタリー「こんにちわ貢寮」の映写会をし、監督のスーシンさんや、活動家の方々と食事交流会をし、一行は翌日、祝島へ向かわれました。あのときの一行の中に陳さんも、おられたのですよね?この投稿文を
    読んで、「良い縁は発展するものだな」と感動します。祝島がいろいろな人を結びつけてくれますね。

  • #2

    ポレポレタイムス社 (日曜日, 22 8月 2010 20:04)

    >沢村和世さま

    いつもありがとうございます。
    陳さんとは、ライターの山秋真さんが取りまとめてくださっている
    原発に関する勉強会のつながりで出会いました。
    (山秋さんにもコラムに文章を書いていただき、
     今日アップしました)
    スーシンさんとは2008年の神舞の撮影のときに
    お会いしていましたので、
    ぐるりつながっているのだなあ、と驚きでした。

    陳さん今は台湾に里帰りされていますが、
    戻ったら祝島に再訪したいとおっしゃっていました。

    中植