コラムVol.12 樋野香織(神戸アートビレッジセンター)

纐纈あや監督は非常にアクティヴで聡明でなごやかに押しが強いひとである。

と感じたのは本橋監督の「バオバブの記憶」の宣伝のために、神戸に来られた時だ。

そう、あの時、纐纈さんは何を発したのかはきちんとは覚えていないのだが、

「にっこり」しながらも、その言葉の意味よりも、その黒いしっかりした瞳に

「まかせろ」と書いてあった(気がしました)のが印象的でした。
そんな、理屈では説明しにくいが、とにかく無条件に人を信頼させてしまう纐纈さんの監督作品。

完成までのお便り通信で、またも「こんなにも好い匂い充満をさせても、そうは!」と、

「そうはいっても監督第1作!」と言い聞かせ(る必要はそれほどないのですが)、

作品のテーマや着眼点もすこぶる期待大で、実際の作品を拝見させてもらうまで、

先入観を無しにする努力が必要であった。
「自分の祖母や祖父でない人をおばあ、おじいと呼ぶのはしつれいにあたる」と

やや誇張した警戒心も持ちつつ、完成作品を拝見する日が来た。
すると、そこには「私の」と言ってしまえるほどの、

絶妙な距離感を持って受け入れてくれる、「私の」島があって、

おじいやおばあや子供たちがいた。旨い匂いは本当だった。

ためらい無くたらふく食べて、昼寝までした。紅白もみた。
そうだ!纐纈さんは単に「にっこり」ばっかりの人じゃないゾ!

と思い返し、作品を反芻するとそこにもあそこにも、替えられないメッセージがあった。

「まかせろ」瞳で語った(ことになっています)纐纈さんの
愛と理性がそこにきちんと存在していた。
いま、神戸の人に見ていただけれうれしかった作品を年末に思い返しておりました。

こういう作品を上映させていただけて、本当に感謝しております。

「祝の島」の上映はまだまだつづく、つづいてほしいと思います。

 

 

                    神戸アートビレッジセンター 樋野香織

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コラムVol.11 沢村和世(原発いらん!下関の会)

 

「暑さ寒さも彼岸まで」という、その彼岸の上映日が間近かとなった。

6月の初め頃から準備し始めた「祝の島を観る会・下関」。

 並みでない過酷な夏を「ほうり」「ほうり」と訴えて過ごしてきた。

私にとってはこれが二度目の(もうこれ以後はない)大仕事である。

というのは、一度目は「アレクセイと泉」の上映だった。


「アレクセイと泉」は、チェルノブイリ原発事故の被災地・ベラルーシの或る村に、

55人のお年寄りと青年アレクセイが、

たった一つの、放射能が検出されない泉の水を頼りに暮らしており、

その姿を、本橋成一監督が、かれらに寄り添って丹念に写し、制作したという。

 その映画が大分県の中津市で行われるときいて、

「行こう、行こう」となった。・・・そして帰りの車の中では、

もう同行の4人が文句なしに即決「下関でやろうや」。

 

実行委員会を10月4日に立ちあげ、上映日を翌2003年1月19日と決めた。

600人のお客さんに観てもらったその時の上映会は、

小さな会の私たちとしてはまさに快挙で、いつまでも記憶に残っている。

実はこの映画を私は、当時すでに20年に余る原発反対を続けていた

祝島の方たちに観てもらいたいと、山戸貞夫さんに話をつないでいたのだった。

下関上映会の翌日、祝島上映会は実現し、本橋監督と纐纈あやさんは、

下関ともそうだが、祝島とのお付き合いも、そのときから始まったのだと思う。

 

この度のはなしは、08年3月24日、私も同行して纐纈さんが祝島に渡り、

映画作りをさせてほしいとの意向を伝えることから始まった。

島の人たちから快く受け入れてもらい、その後、断続的に島を訪れ、

8月の「神舞」から正式クランクインとなった。

私の役目は、最初の引き合わせだけと思っているので、

あとは下関にいて、うまくいけばいいがと案じながらの日々だった。

しかし現場は大丈夫だった。撮影者も大久保千津奈さんという強力な同志を得、

製作デスクの中植きさらさんも加わって、若き女性3人組の熱意と能力と、

島の人たちとの信頼の合作は見事に花咲いた。

 

映画は作るに一苦労、作れば普及に一苦労。

まあ、いい作品を作ってくれたので、

普及の山に一鍬でも入れねばと、この夏を頑張ったのだった。

しかし、なにしろ「アレクセイ」のときから仲間と共に7つ半も年をとってしまった。

どんな成績になるか、11日が第4回実行委員会だったのだが、

まあ、あんまり恥ずかしいことにはならないなという見通しはついた。

 

ところで、人の笑顔が美しいということはよく言われるが、

私は、人が公のために腹から怒った時の顔こそ美しいと思う。

一つの例だけいうと、この映画の中の田名埠頭の船上からの抗議活動、

美容師の典子さんの美しいこと。

中国電力の職員に対し、「おまえらは命をかけて闘ったことがあるか!」と、

マイクをにぎる場面。唇が小刻みに震えている。

ラッシュで見て、本編に入れてほしいと願っていた場面なので、入っていて嬉しかった。

 

人は何に突き動かされて走るのだろうか。

私はなぜ、金銭的もうけもありはしないのに、

「ほうり」「ほうり」と一生懸命になるのだろうか。この暑い中で。

・・・当然のこととしていつも活動してきたのに、

ふいに、そんな根源的な事が思われてきた。

この映画はそんなことを思わせる何かを持っている。

結局、その答えは私なりにいうと、

邪悪なものへの怒りと、その対極にある、美しいものへの希求だろう。

この映画には、島の人たちの営みと心、自然の美しさが満ちている。

そして、この映画を作るために協力をした人たちの気持ち、

普及の労を惜しまない人たちの気持ち、

すべての行為に美しさを思わずにはいられない。

 

            沢村和世(「原発いらん!下関の会」代表)

 

 

 

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コラムVol.10 丹羽朋子(文化人類学研究 / 本の企画・編集 )

 

育つ映画

 

この映画、縁あって三回みた。

三度目に行ったのは、8月半ばの暑い日、場所はポレポレ東中野。

映画館へ下る階段の壁には、「祝の島」を見たたくさんの人々の手書きのメッセージが
伝言板のごとく貼り出され、次に祝島に出会うお客さん達を迎えていた。

初上映からほんの数カ月の間に、映画はこうしてスクスクと育っている。

そう、わたし自身のなかでも同じように。

 

正直いうと、最初から「絶賛!」と感じたわけではなかった。

でも小さな棘のように頭の片隅にひっかかったのと、今の自分自身と縁があったのだろう、
回を重ねるうちに、今では映画の中のタミちゃんや蛭子家の三兄弟、

潮風にゆらゆらと舞う干し蛸の“タコ踊り”に、

なんども出会ったような気にさえなっている。

 

この映画を育てるために監督の纐纈あやさんは、

座談会や映画上映後の挨拶を通して島について語り、考える活動を続けている。

そのプロセス全てが「祝の島」という映画の育ち方なのだと思う。

でもここでは恥ずかしながら、映画そのものが私の中でどう育ったのかを、

ちょっと振り返ってみたい。

 

初見は東京での試写会。

「原発はんた~い!きれいな海を守れ~」

そう叫びながら進む島人のデモ行進が、(不謹慎だが)まるで日課の散歩や、

ちょっと気張った祭のようにみえてしまうくらい、

原発反対運動がこの島の生活の一コマになっていることに衝撃を受ける。

映画の作り手の暖かな目を通して描かれた島の日常を見て、

島人たちがこの問題によって引き裂かれてきた歳月と苦しみに思いをはせる。

 

だがその一方で、“原発問題に揺れる島”という、

映画館の外から持ち込んだ先入観のせいか、

研究調査の場に身を置く自分の立ち位置がそう思わせたのか、

推進派の島人の姿がみえないことに、消化不良を感じたのも事実。

日ごろから調査対象と微妙な距離を保つことに気疲れしているわが身と、

「祝島の人たちが好きになっちゃったんです」とまっすぐに話す纐纈監督とを比べて、

一抹の違和感がのこる。

今思えば、監督と島の人々の深い絆と、監督の潔い姿勢に対する、

羨ましさの裏返しだったのかもしれない。

 

2回目、初回とは全くちがった印象。

まぶたの裏に焼きついたのは、平萬次さんというおじいさんの祖父、亀次郎さんが、
大きな岩を一つ一つ動かし、何十年もかけて造り上げたという立派な棚田。

山の斜面に積み上げられた巨大な岩壁の下に、黄金色の稲穂がたなびく。小さく動く人影。

その向うには、どこまでも続く海の水面がキラキラと輝く――

上関原発の予定地は、平さんが今日も棚田から見下ろしているだろう、

この海の途中にある。

 

今、孫の孫の代にまで米を食わせているこの棚田。つくった亀次郎さんは生前、

「棚田も、いずれは原野に戻っていく」と話していたそうだ。

こんなすごい言葉を、初回見たとき、わたしは聞き落していたらしい。

 

「祝の島」には、島を取り囲む海の遠景がたびたび登場する。

それは風景ショットの単なる挿入ではなく、

島の人々の営みに近づいた後に、カメラは大切なところで、

かならず祝島の大らかな大地と海へ、遠く帰っていくようにみえた。

人間の身の丈に合った小さな暮らしを、大きく包み込む自然の姿、

人類が滅びてもそこに在り続けるだろう、地球が発する言葉が聞こえたような気がした。

少なくとも亀次郎さんには、その声がよく聞こえていたにちがいない。

 

3回目に見たとき、脳裏に浮かんだ言葉は、「循環」。

島の暮らしは、めぐりゆく季節に寄り添う。

人はここで生まれ、育ち、そして後の世代にバトンを渡して死んでいく。

 

夕食後、毎日欠かさずお茶を飲みに集うお年寄り。

お茶会は日々おなじようにみえて、一年という時間の循環のなかにある。

大晦日のお茶会。炬燵でうとうとしつつ「紅白」を眺めていたお年寄りたちは、
0
時の鐘を合図に少し改まって「おめでとうございます。本年もよろしく」と挨拶を交わす。

来年も同じ日がめぐってくるかなんてわからない、と笑い合う。

 

人が集い、そう長くはない時間をともに、この地球上で生きて行く、

その儚くも貴い「時間」が、この映画にはちゃんと刻まれている。

 

 

――――映画「祝の島」は、頭の固いわたしの中でも、こんな風に少しずつ育ってきた。

ひとりの島民、人間たち、地球…それぞれが歩みゆく大小さまざまなループが、

たまたま交差する一点に、今日というこの日があることを、この映画は教えてくれる。

 

原発とは確かに、その循環を脅かしうるものだ。

 

でも、私がおもうこの映画の良さは、

二十余年もの間、原発反対を訴えることを暮らしの一部とし、

生きる力にせざるを得なかった人々の悲しみと憤りとともに、
監督が愛してやまない島の人たちの“普通の”暮らし、
そのような人間の生の強さやある種のしたたかさ、
さらに人間なんか遥かに超えて、圧倒的にそこにあり続けるはずの海と大地が、
ていねいに描き出されていることだ。

 

1000年先にいのちはつづく」

 

島の人々とともに、暮らすように撮ったというこの映画の、

深くて広いまなざしをよく表した言葉だと、今は思う。

 

            丹羽朋子(文化人類学研究 / 本の企画・編集 )

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 中国の黄土高原、陝北地域の農村家庭にホームステイしながら、
 切り紙など暮らしの中に息づく民間芸術について、調査・研究中。
 今春、日中の出版界をつなぐプロジェクトとして、

 「一芯社図書工作室」を立ち上げました。

  http://yixinshe-books.jimdo.com/

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コラムVol.9 大月啓介(映像ディレクター/ライター)

「島の人たちのことが大好きになっちゃって!」  
何度か耳にしましたが、そのような理由で、
はなぶさ監督はこの映画の制作に飛び込んだとのこと。
そう言えば監督、屈託なくこうも言ってました。
「この映画は島の人たちへの恋文です」と。
 
その言葉を聞く前に「祝の島」に触れたことは、
僕にとって幸運でした。そうでなければ、
この映画を観ることはなかったかもしれません。
古今東西、「恋は盲目」と言いますが、
「大好きです」で始まり、「大好きです」のままに
終わってしまう作品だとうっかり思ったでしょうから。

実際には、初めて「祝の島」の抜き出し映像を観た時、
思いがけず僕は釘付けになりました。
島の暮らしの風景、じい様たちが語る映像でした。
映画公開前の座談会でのことです。

「よそ者が、島の人たちのフトコロに、
よくぞここまで入り込んだなあ…」
取材者としての驚きもありましたが、それより何より、
「よくぞこの言葉を引き出し、こちらに届けてくれた」
という歓びがありました。

それは島での人生、島の記憶から導き出された、
耳を傾けずにはいられない「語り」でした。
どのように、あの深い語りを引き出したんだろうか。
この監督が映画で描くのはどんな世界だろうか。
がぜん本編が観たくなりました。

自分の「祝島が大好き」という想いに忠実に、
それをひたすら掘り進める作業。
周囲からは、客観性に欠ける、独りよがりになる、
と言われたことも少なくなかったことでしょう。
なにせ、原発という繊細な問題を抱える地ですから。
 
でも、恋する女の土性骨は侮れんですね。
周囲の「助言」をものともせず頑固一徹。
自分の想いに従いつつ、そして「監督」として、
祝島と私たちとの間に水路を通すという、
とても地道で困難な作業をやり遂げたのでした。

後に試写会で念願の本編を観ると、その水路を通して、
監督個人の「好き」をはるかに超えるものが、
祝島から流れ込んできました。

美しい島の風景、人間の強さ可笑しさ、
対立に割れる人々の切なさ…とともに、
淡々と映し出される、あたりまえの日常。
監督が作ったのは、「原発にゆれる島を伝える」
という構えであったなら通されないであろう、
「取るに足らぬ小さなもの」も流れてくる、
とても大らかな構えの水路でした。

日常から切り取られた「今ここにある」
小さなシーンの連なりは、不思議なことに、
「今、ここにはないもの」を強く想わせました。
こんな風に、この島ではいのちと暮らしが、
人と人とが連なってきたんだろうなあ、と。
まさに「1000年先にいのちはつづく」がごとく。

もちろん、祝島は暮らしの場であると同時に、
原発をめぐる対立の場でもあります。
そしてそれは、人と人の連なりを断とうとし、
暮らしのあり方も大きく変えようとしています。

けれどこの映画は、私たちのなじみの言葉、
対立軸を明らかにし、解決策を示す言葉、
正当化し、批判するための言葉を声高に語りません。

そのかわりに静かに見せ、問いかけてきます。
それらの言葉ではすくいとれない、
耳を傾け、目を向け、受け止めるべき、
もっと別の「ことば」もあるかもよ、と。

その「ことば」を無視するときに、
私たちは遠い場所の痛みに、悲しいほどに
無感覚でもいられるのかもしれません。
「知らないよ」「仕方ないよ」と。
でも、あっちとこっちが、何かの拍子に、
否応なしに通じることが、時にはあります。

はなぶさ監督が通したのは、そのための水路です。
そしてそれは、とても個人的な感情、
「祝島が大好き」という想いをよりどころに、
せっせと掘り進められたものなのです。
ひょっとしたら、そのことも、
この映画のメッセージやもしれないな、と思います。

      大月啓介(映像ディレクター/ライター)

 

 

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国内外で主に中東・パレスチナ、在日外国人をテーマに取材。
つつがある日々: http://sawa.exblog.jp
webでのショートドキュメンタリ・シリーズ “Mossmedia”
10月に開始予定。

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コラムVol.8 山秋真(ライター)

 

 纐纈監督にはじめてあったのは095月末。

このとき監督は2つの問いをわたしに投げた。

そのひとつが「あなたは(原発)推進派も取材したか?」。

中国電力の原発予定地・上関町の祝島で撮影をすすめていた監督自身、

「推進派と反対派を平等に撮らないと薄っぺらな作品になる」

といわれていたこと、

そして、わたしが関西電力の原発予定地だった石川県珠洲市へかよい、

『ためされた地方自治』という本を書いたことが背景にあった。

この問いには論点がいくつかあり、だから幾通りかの答え方ができる。

そもそも「推進派/反対派」というとらえ方からして薄っぺらだ。

ただどういうわけか、この時わたしは反射的におよそ次のように答えていた――「『推進派』も取材しようとはしなかった。無限ではない人生の貴重な時間なのだから、自分が魅力を感じ、話を聞きたいと思う人に会うためにつかった。ただ、『反対派』と呼ばれた人たちでも、年月の経過とともに諸事情から仲間のもとへ 顔を出さなくなった人もいて、そういう人の姿は描いた」。

近しい匂いを互いに感じたのか、これをきっかけに纐纈さんとの交流が始まり、

秋からの『祝の島』連続座談会で司会をさせていただくことになった。

 

初回の日、『祝の島』のラッシュ映像をはじめて目にした。

目のまえに映しだされたのは、日本の地方のどこにでもありそうな日常風景。

けれど原発計画の現場でそれを撮ることは、容易なことではないはずだ。

原発は、建設費が一基5000億円という巨大開発であり、

国民的合意があるとはいいがたい(科学)技術でもある。

それをめぐり、現地にはたくさんの人がやってくる。

目的は懐柔・分断・応援などさまざま。

そのくせ誰もがウツクシイコトを語る。

そこで四半世紀以上も自覚的に生きていれば、

人間をみる力は鍛えぬかれるだろう。

人あたりよい人であっても、厳しい眼差しも併せもつと思って間違いない。

なぜなら、それなしに国策である原発に

長年あらがいつづけることは、ほぼ不可能だから。

その地でこの映像を撮ってきた。

「祝島の人は自分の証人としてこの人を選んだのだな」わたしはそう感じた。

 

4回の座談会のテーマは「地域を映し撮る」

「海のある暮らし」「地域で最期を迎える」

そして「原発が地域にもたらすもの」。

準備のため資料をよみ、情報や意見や交換し、勉強会を重ねた。

それぞれ自分の現地へかよい表現を模索するバラバラ状態から、

問題意識も匂いも近い人がいると知り、つながろうとしたのかもしれない。

ふりかえるとあれは、現地の人びとのうしろ姿から学んだ極意を、

自分なりに実践する試みだったともいえる。

燃えつき症候群にやすやすと陥るワナを避け、

あらがいつづけて生きる「極意」の実践。

つながりで支えあおうとしたのは、活動継続の面にとどまらない。

コンテンツについてもいえる。

例えば、現地の人が生きている現実を纐纈監督が鋭い感性でうけとめても、

すでに手垢にまみれた言葉をつかってそれを表現するなら輝きは鈍る。

それはわたしもかかえる悩みで、

いまも「つながり」という言葉をつかいながら

この言葉でいいかと迷い、エイヤッとつかっている。

つながったからといって容易に乗りこえ可能となるはずもない。

だが、危ういと感じる言葉や腑におちない議論について疑問を投げかけあい、

問題意識を共有し、問いをあたためることはできる。

答えはすぐには出ないし、ひとつとも限らない。

 

426日の『祝の島』完成お披露目上映会では、

わたしまでドキドキハラハラしていた。

「祝島を知らない人にも伝わるだろうか」と思うと、

「もう一工夫したらもっと伝わりそうなのにもったいない」と思う場面も、

ないわけではなかった。

もっとも、ほとんど映画のパンフレットで補うことができる

性質のものだと思ったので、信頼することにした。

一点だけ、パンフレットでは解決できなさそうな個所があった。

これについては監督に私見を伝えるべきか半日迷い、結局やめた。

無から何かをつくりだすという行為は、

口だけ出すことの十倍も百倍も気力・労力を要する。

「もったいない」かもしれないが致命傷ではなし。

祝島と出会い、惹かれ、かよいはじめた監督が、

かの地の原発立地の現実を知ってそれとも向きあい、

祝島の人の声を社会的に存在せしめる媒体となって、

現実の諸条件とも格闘しつつ映画を完成させた。

この期に及んでは、それらを担いきったことへの敬意をこそ表したかったからだ。

ところが619日の一般公開を経てあらためて『祝の島』をみると、

懸案の個所が見事に修正されていた。

監督によれば「完成お披露目上映後は基本的に変更なし」。

ただ、わたしにとってラストピースだったその一点だけ、

例外的に映像をさしかえたという。

「パンフレットで補えるから大丈夫だろう」と監督を信頼した点についても、

すべて実際に補われていたことは言うまでもない。

不思議といえば不思議な気もしたが、当然の結果かもしれないとも思う。

他でもない祝島の人が選んだ証人なのだから。

 

こうして生まれた『祝の島』は「感じる」映画だと思う。

平さんの小屋の暗がりを照らす、

外にあふれる夏の陽ざしやランプのともし火。

エンディングに流れる島の暮らしの音、丹念に丁寧に仕上げられた細部が、

わたしの眠れる感覚を呼びさます。

瀬戸内海の最後の聖域と呼ばれる海にうかぶ、祝島の暮らしの春夏秋冬。

原発計画にゆれながら生きる人びとの喜怒哀楽と、その瞳がむかう先。

映画を観ながら、わたしはそれらを「知る」のではなく「感じ」ていく――

いつしか祝島の時間の流れまでも。

「島の時間の流れを大切にするため、

映画本編ではできるだけ説明を削ぎおとした」と監督は語っていた。

その甲斐ありというべきだろう。

この映画は、原子力問題への回路を

理屈やイデオロギーから解き放とうとしているようにみえる。

ならば、控え目で静かなこの映画が、

実は根っこのところで野心に満ち戦闘志向なのだとも言えまいか。

なぜなら、理屈から感情に転化したところが人を動かすのだから。


                      山秋真(ライター)

 

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*最近の活動  

『ためされた地方自治:原発の代理戦争にゆれた能登半島・

 珠洲市民の13 年』(2007)で 平和協同ジャーナリスト基金賞(2007)、

 松井やよりジャーナリスト賞(2008)。

 現在は、原発立地にゆれる地域で子ども時代をすごした人に

 インタビュー継続中。  

 

ブログ:湘南ゆるガシ日和 http://blog.goo.ne.jp/s-y_082209/

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コラムVol.7 nakaban(画家)

映画が始まると、映画館が潮の香りに包まれるような錯覚を覚えた。

やがて祝島が見えて来る。潮の香りが漁港を漂い、

やがてほのかな山の香りと混じりあう。

小さな町。
おじちゃん、おばちゃん、こどもたちの声が聴こえて来る。
誰もがユーモア満点、島の生活者としてのつよさがまぶしい。
中でも飄々とした、島のお年寄りのあの明るさ。

思わずこちらも笑みがこぼれる。

でも映画を観た後の私は知る事となる。
あの明るさは、遠く、深いまなざしに裏打ちされたもの。


映画『祝の島』で切り取られた風景は本当に宝の島のようで、まさに西村繁男さんのあの画のよう。
それは日常の風景であればある程、印象的なものとなり、スクリーンから遠く離れた場所にいても、ふとした時に思い出してしまう。

島じゅうを巡る、あのきれいな曲線を描く道のこと。

山道を登るおばあちゃんのこと。
小学校で歌われていたあのいい歌。

船の手入れはしているかな。
石垣にからまったクズの葉はだいじょうぶかな。
不運なタコ君は潮風に吹かれてもっとおいしくなったかな。

それから、思いは未来へと。
祝島と、その外の世界の暮らしは、これからどのように変わっていくのだろう?
暗い未来はごめんだ。
薄っぺらに便利な暮らしのための犠牲、なんてやめてくれ。

映画の中の祝島を巡る微かな回想と未来への思いが、ちょっとずつ、結び目をつくって

まるで小さな『祝の島』が心の中に生まれた様な、そんな気がする。

                           nakaban
 (画家)

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 広島県出身。絵画を中心に活動。
 最近の代表作はアニメーション作品の『Der Meteor(noble)

 絵本の『ころころオレンジのおさんぽ』(イーストプレス)など。 

 http://www.nakaban.com/

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コラムVol.6 陳威志 (一橋大学社会学研究科 修士課程)

 

 

台湾からの便り

 

韓国、中国ほど人口は多くないのにも関わらず、

日本に旅行に来る台湾人は年間一位占めたことがあると聞いている。

日本への憧れを胸に、まずは、東京や大阪などの大都市からはじめて、

だんだんとその他の地方にも足を伸ばしてゆく。僕もその中の一人だった。

でも僕の場合、仕事の関係で2回目にしてすでに、

「桃源郷」のようなきれいなところに行くチャンスを得ることができた。


20063月初春の祝島訪問は不思議な経験だった。島国中の離島。

人々は深い人情や伝統を持つのだろうかと、行く前から想像を膨らませた。

この旅は、台湾第四原発反対運動に取り組んできた

台湾の環境団体と日本の住民の交流企画だった。

台湾の反対運動に関するドキュメンタリーを通じ、

お互い励まし合うことができればいいな、と思っていた。


亜熱帯出身者にとってはまだ辛い寒風に震えながら、やっと着いた。祝島!

想像した以上澄んだ海にうっとりした。

船上からは、埠頭越しに「原発反対」と書かれた看板が

眼前の海を睨んでいるのがちらりと見えた。

上陸し、澎湖(台湾の離島)にある咕佬石頭屋のような道を渡り、

ほどなくして今日泊まる民宿にたどり着いた。

漁協組合長山戸貞夫さんと議員清水敏保さんたちはもう玄関で私たちを待っていた。


当時の僕は日本語をまだ全く理解できなかった。

そのことが、かえって視覚を鋭敏にしたのかもしれない。

今なお深く残っている印象は、清水さんのまっすぐ立っている姿勢であった。

軍隊から退役したばかりの私には、そのような直立する身体というものは

軍隊においてのみ存在するものではないかと思っていた。

清水さんを含む島民たちがこの島を守る決心は

我らが台湾という国を守ることよりも、強く剛毅であろうかとさえ想像できた。

かつて台湾の地方によくいたボスの顔つきと似てた山戸さんを見て、

さらにその感を強くした。僕は粛然として自然と襟を正していた。


その日の夜、台湾のドキュメンタリーを見てくれたお年寄りたちの

あまりに素朴な様子もまた、僕には意外なものだった。

この素朴なお年寄りたちが、長年激しく戦ってきた。

「いったいどんなことがあって、このような普通の、

高齢な島民が必死に抵抗しなければならなかったのだろうか。」と自問した。


 社会運動の後ろには何があるのか。

大きな精神力と必要とし、気力なしにはやっていけない活動を

支えているものは何だろうか。


 そんな疑問は、台湾に戻ってからも、

第四原発の反対運動を支援しながら、常に脳裏に浮かんできた。

それが一つのきっかけとなって、僕は2008年末、日本に来て日本語を勉強し始めた。

研究者として、島のことを「文字撮影」してまとめ、

より学術的世界に広げようと考えていた。


 一年半が経ち、日本語がようやく分かるようになってきた時点で、

纐纈監督のドキュメンタリーに出会い、

祝島にいる島民たちの生活の姿勢を見ることができた。

島民としての生活の中に根を下ろした哲学。

それが運動を支えるのではないだろうか、と考え始めた。

作中の、萬次さんの言葉にすごく共感した。

「人間の一日の生活は一番大切ですよ。」

長らく進んできた台湾の第四原発反対運動では、

政治問題の側面が強く感知される反面、

住民・貢寮人の日常生活は見落とされがちだったのではないだろうか。

そう気づかされた。


お祖父さんの亀次郎さんが持つ棚田の論理が現れる深さにもまた驚いた。

「米さえあれば生きられる。だから子孫のために、棚田を築き上げる。

もし曾孫の代になったら、耕作の人がなくなってもまた野に還ることできる

この言葉と、原発推進で言われる「核廃棄物の処ないが、近い未来、

必ずできる。原発は悪なんだけど、必要だ」ということ言葉を対置させて見ればいい。

この論理がいかに出鱈目なものなのかが自然に映し出されるに違いない。

もう一つ。映画の中のあるシーンに、僕は特に惚れ込んでいた。

小学生の入学式を描いたその場面は、

島を継いでゆく新しい力が芽生えている象徴的なシーンであった。


『祝の島』というドキュメンタリーは纐纈監督のやさしい態度が反映されつつも、

鋭敏な視点もまた失なわれていない。

インタビューであれ、農事の撮影であれ、

島の向こうにある原発の予定地の映像が巧みに織り込まれていた。

そもそも、島の向こうの原発予定地は、日が昇るところであり、

生命力をあらわす東方であるが、

そこがこれから、科学技術の功罪の両面性を代表する原発に覆われようとしている。

カメラが静かにこの予定地を映し出す瞬間、

観客の私たちの気持ちは島の視点に変わって行く。

映像、波の音、鳥の声、様々なものが観客の心の中で静かに再合成されているうちに、

自然と反対運動の論理が伝わってくる。

論理的な面から原発反対を推し進めることに馴染んでいた僕は、

自分の説教くささに気づかされていた。

人々の運動はこういった日常生活の中で展開していっている。

纐纈監督が見せてくれた人々の「生活誌」は、

まさに自分自身に欠けていた視点であった。


いったい僕はなぜ「生活」を見てこなかったのだろう?

それは、台湾の歴史展開に関係がある。

台湾の原発反対運動は長年に渡って、民主化運動とともに進んできた。

主な戦場は国家・行政との交渉の場である。国会、街頭での攻防が主な舞台だった。

いつの間にか運動の中から、

貢寮の人は実際にどんな生活をしているのかというような、

ものすごく基本的なことはこぼれ落ち忘れ去られていってしまう。


世間を離れた平和な別天地。瀬戸内海で浮かぶ小さいな島・祝島は、

まるで中国古典文学に書かれた『桃源郷』のようだった。

もしも原発による紛争がなかったならば……。

2006年祝島を訪れた当時、政治に翻弄され台湾の反原発運動に落胆していた僕たちは、

まさに、こういう島にしばらく避難し、

台湾の運命、原発にかかわる人間の未来を

考え直そうとしたいとも思っていたころだった。

本当は、祝島・上関町・日本は、そんなに容易な状況ではないと知っていたけれど、

僕は勝手にこの感情を島に託していた。

今年の春、『祝の島』を見て、当時台湾のドキュメンタリー 

『貢寮、こんにちは』を見に来た多くのお年寄りのことを思い出した。

その時の写真を確かめると、『祝の島の中で映されていた伊藤さん、

正本さん、民子さんが、その日出席していたことが分かった。

写真を眺める僕の頭に、会場に響く彼らの元気な笑い声や泣き声が浮かんできた。

その当時は話ができなかったけれども、今回の『祝の島』を通して、

彼らは、僕に話しかけ、原発反対運動の背後に実際に存在する人間像、

そして日々の営みを見せてくれた。


祝島の皆さん、纐纈監督、ヒントを与えていただき、ありがとう!

これから、僕の「文字撮影」も始まります。


          陳威志(ダン・ウィジ)一橋大学社会学研究科 修士課程
          最近の活動: 日本見聞

 


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コラムVol.5 石川翔平(『祝の島』制作)

すぐ目の前にあるものを乗り越えて、考えて、楽しんで、暮らしてしまう私は、早くに
祖父母を亡くしていることもあり、先祖のこと、祖母の母のこと、または祖父の父のこと
などの話を聞く機会はほとんどなく、自分という生のつながりについて考えることはなか
なかありませんでした。
  『祝の島』制作過程で私が見出したのは、私という生は親の親の親の親の…と果てしな
く遡っていけるということでした。その生は1000年も2000年も、人類誕生まで絶対に遡れ
るということです。
  映画の中に息づく祝島の人々は先祖の想いを背負って暮らしています。また、未だ見ぬ
子孫のことまでをも見つめています。その暮らしは、自然の中で生きている、海や山や他
の生物と、島のみんなと、海の向こうの人々と、共存しているという自覚から生まれてく
るものなのだと思います。
 
公開後二週間連日おこなったトークショーの中で、ミュージシャンの坂田明さん
が「『人間が自然を守ってやらなきゃ』というその“自然(しぜん)”は西洋から来た
natureの概念のことで、これは明治時代にnatureという概念が西洋から来た時にもともと
日本にあった“自然”という言葉を“しぜん”と読むことにしたに過ぎず、もともと日本にあ
った“自然”は“じねん”と読み、『人間は他のさまざまな生物と共に自然に生かされている』
という意味の言葉だった」という話をされました。それは、まさしく私が忘れていて祝島
の人々が無意識的に抱いている想いのことでした。
  私だけでなく、制作スタッフが映像から感じたその想いから、「1000年先にいのち
はつづく」という本作のコピーが生まれました。「いのちをつなぐ」という能動的な行為
ではなく、いのちは、原発が出来ても、地球外で暮らすことになっても、殺戮が起こって
も、いやがおうにも続いていくのだと思います。

 

                           石川翔平(「祝の島」制作) 

 

 

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コラムVol.4 高橋和博(映写技師・撮影)

「へばの」→「祝の島」

 2007年の年末、「へばの」という映画を撮影した。

青森県六ヶ所村で生きる若い男と女の物語。映画は2008年の夏に完成。

怖いもの知らずの私達はポレポレ東中野大槻さんを強引に試写に誘い、

「ポレポレで上映したいんです!」と直談判。

あまりのアホぶりに断れなかったのか、勢いだけは伝わったのか、

監督含め、よく判らん連中の思いと勢いだけで作った自主映画の公開を大槻さんは了承してくれた。

その後怒涛のように宣伝活動が過ぎていき、20091月ポレポレ東中野での公開となった。

そんな中で中植きさらさんと知り合った。

彼女は何かと私達を気にかけてくれ、それが私達の励みにもなった。

そして彼女が「祝の島」というドキュメンタリー映画のスタッフをやっているという事を知った。

 「へばの」追加撮影でスタッフをしてくれた小谷忠典君の「LINE」という作品を見に行った時、

「祝の島」のチラシを目にし、劇場に足を運んだ。

 上関原発をめぐる祝島を題材にした映画という事しか知らなかったので、

自分が予想していたものといい意味で違っていた。

棚田で稲を育てるおじいちゃん、釣った魚に声をかける漁師さん、御墓参りをするおばあちゃん。

島の人達の日々の営みがゆったりとしたリズムで描かれていた。

そのリズムが心地よい。

印象的だったのは大晦日、おじいちゃん、おばあちゃん達がいつものように

茶飲み仲間の家に集まり、紅白歌合戦を見ているシーンだ。

来年も紅白が見られるだろうかと冗談を言い合い、

寝てしまったおばあちゃんにそっと毛布をかけてあげる。そうして静かに年が明けていく。

「へばの」でも主人公紀美の家で、紀美と恋人の治、紀美の父親とで紅白を見ながら、

年が明け、初詣に行こうとするシーンがある。

「祝の島」のあのシーンを見て、これを目指していたんだなあとあらためて思い、

かなわないなあと正直嫉妬した。

 映画は撮影も現場、上映活動も現場。だと思う。

「祝の島」現場真っ只中。さらに大きく広がってください。

 

             高橋和博(映写技師・『へばの』『泥の惑星』撮影)

 

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 映画一揆 井土紀州2010宣伝中

 201011月井土紀州の新作映画『犀の角』『土竜の祭』『泥の惑星』

 ユーロスペースにて公開

 *映画一揆 http://spiritualmovies.lomo.jp/eigaikki.html

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コラムVol.3 加瀬修一(プランナー・ライター)

美しさの底にあるもの

祝島のじいちゃん、ばあちゃんたちは知っている。

自分たちが受け継いできた生業が継承されないことを。

そして、これから何十年か先の未来。田んぼや畑が原野に返り、

舟が朽ちて沈んでいく、それが脈々と続いてきた自然の摂理であるということを。

ただ、そうなるのが運命ならば、せめて元通りにして返さなければならない。

そこに原発の存在する余地はない。

これは思想云々ではなく、その土地で生活してきた者の実感だ。

ただ、「原発の問題は人と人とを引き裂く」という言葉にハッとさせられる。

島の中で反対の人間もいれば、賛成の人間もいる。それぞれの考えがある。

原発以上に恐ろしく、悲しいのは人間の関係性なのだ。

だからこそ「いま」を受け入れ、覚悟を決めて生きているじいちゃん、

ばあちゃんたちの笑顔は優しく、その姿は美しい。

そして、僕は『祝の島』を観てあらためて知った。

「想い」は継承することができる。

 

                  加瀬修一(プランナー・ライター)

 

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  映画『アヒルの子』『LINE』宣伝協力

 

  *『アヒルの子』公式ホームページ http://ahiru-no-ko.com/

  *『LINE』公式ホームページ http://line.2u2n.jp/

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コラムVol.2 小原治(映画館スタッフ)

原子力発電所の建設問題は、現地の住人でなければ実感を伴わない分、

ありきたりな想像力で本質を捉えることは困難です。

物理的な因果関係が詳細に判断できないからこそ、外的ではなく、

人間の内面と存在そのものに関わる最も危ぶむべき問題の一つなのです。

日本人の感性は、大らかな自然の中で育まれてきたことも忘れてはなりません。

俳句や短歌といった独特の詩情、

憧憬に導かれる美意識もそれと無関係ではありません。

映画の比重は原発建設に反対する人々の抗議運動ではなく、

そこに流れる時間を選び出すように

目に見えない風と青い海を淡々と映し出します。

祝島に暮らす人々の記録は言葉以上の詩となって

観るものを惹き付けてはやみません。

私たちが文明の恩恵を受けているのは事実ですが、

一度崩れた均衡を元に戻すには厖大な時間と無数の犠牲が必要です。

人間の本質的な営為を譲らないためにも

祝島の住人たちは1000年単位で世界を捉えています。

 

                   小原治(映画館スタッフ)

 

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コラムVol.1 木村文洋 (映画監督)

祝島を初めて訪れたのは26歳のとき、4年前だった。

一日に3本しか出ないフェリーの最後に間に合い、

夕方に自動販売機もほとんど見当たらない島へ着いた。

7時から始まる…反原発デモというよりは、

女性たちの“寄り合い”に近い—長蛇の列の背後につく。

海辺の民宿で短い夜を過ごしまだ薄い朝もやのなか、こんな風景を観た。

朝イチの船で運ばれてくる朝刊の束を、

村のおバアさんたちが多分当番なのだろう、

手分けして村中に配っているのだ。自給自足。

海の向こうに24年間も続く事業とは別に、朝から笑いがたえなかった。

「原発のことだけで思い出すんじゃなく、この島はいいけえ、また来てや」

女将さんはそう云ってくれた。

 

 『祝の島』は纐纈あやをはじめとする若い女性スタッフを中心に、

島のキメ細やかな日常を無言につづっていく。

「傑作」といった様相や、センセーショナルな構図にその目線は向かない。

それは纐纈たち自身が、映画を撮り終わっても今なお心から片時も離れない

— 祝島の日々の体温のようなものに鼓動を合わせようとしているから、に思えてならない。

現在進行形の、終らない体温。

 

 映画は中盤、夜の“お茶会”を映す。毎夜決まった時間になると、

一人の老人の家に集まる老人たち。何年も続いているというお茶会。

テレビを眺めながらダラダラとコタツを囲み顔を合わせ、ある者は眠り、

ある者は死生観を笑いながらのんきに語る。

そしていつの時間なのだろう、彼らはまた別れる。

無為な時間に思えながら東京や都心のコンクリの一室で、

老人や幼子がミイラとなって何ヶ月も経ったあとに孤独に発見されるいま

 それは、にわかには信じられない時間だ。

 

 原発が誘致されれば、その土地に雇用ができる。過疎が回避される。経済が回る。

 我々は、そうした言説をもちろん目にした上でも—『祝の島』の時間に、

経済と生活とを見るべきだ。無知ということを、今なにから学ぶべきなのか。


 日本人は、まだ歩みの速度を考えることができる。

 この島を、いま見過ごしてはならない。 

 

 

                        木村文洋(映画監督『へばの』)

 

 

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   2008年より、監督作『へばの』を国内外で自主公開、上映。

  その後は同世代のインディペンデント映画の自主公開・製作に参加する。

  現在は次回作脚本執筆中。

 

  *映画『へばの』公式HP http://teamjudas.lomo.jp/

  *A Pluralistic Universe http://ameblo.jp/bunyokimura2009/

  *Twitter http://twitter.com/bunyo_k

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