2010年

8月

11日

コラムVol.5 石川翔平(『祝の島』制作)

すぐ目の前にあるものを乗り越えて、考えて、楽しんで、暮らしてしまう私は、早くに
祖父母を亡くしていることもあり、先祖のこと、祖母の母のこと、または祖父の父のこと
などの話を聞く機会はほとんどなく、自分という生のつながりについて考えることはなか
なかありませんでした。
  『祝の島』制作過程で私が見出したのは、私という生は親の親の親の親の…と果てしな
く遡っていけるということでした。その生は1000年も2000年も、人類誕生まで絶対に遡れ
るということです。
  映画の中に息づく祝島の人々は先祖の想いを背負って暮らしています。また、未だ見ぬ
子孫のことまでをも見つめています。その暮らしは、自然の中で生きている、海や山や他
の生物と、島のみんなと、海の向こうの人々と、共存しているという自覚から生まれてく
るものなのだと思います。
 
公開後二週間連日おこなったトークショーの中で、ミュージシャンの坂田明さん
が「『人間が自然を守ってやらなきゃ』というその“自然(しぜん)”は西洋から来た
natureの概念のことで、これは明治時代にnatureという概念が西洋から来た時にもともと
日本にあった“自然”という言葉を“しぜん”と読むことにしたに過ぎず、もともと日本にあ
った“自然”は“じねん”と読み、『人間は他のさまざまな生物と共に自然に生かされている』
という意味の言葉だった」という話をされました。それは、まさしく私が忘れていて祝島
の人々が無意識的に抱いている想いのことでした。
  私だけでなく、制作スタッフが映像から感じたその想いから、「1000年先にいのち
はつづく」という本作のコピーが生まれました。「いのちをつなぐ」という能動的な行為
ではなく、いのちは、原発が出来ても、地球外で暮らすことになっても、殺戮が起こって
も、いやがおうにも続いていくのだと思います。

 

                           石川翔平(「祝の島」制作)