コラムVol.10 丹羽朋子(文化人類学研究 / 本の企画・編集 )

 

育つ映画

 

この映画、縁あって三回みた。

三度目に行ったのは、8月半ばの暑い日、場所はポレポレ東中野。

映画館へ下る階段の壁には、「祝の島」を見たたくさんの人々の手書きのメッセージが
伝言板のごとく貼り出され、次に祝島に出会うお客さん達を迎えていた。

初上映からほんの数カ月の間に、映画はこうしてスクスクと育っている。

そう、わたし自身のなかでも同じように。

 

正直いうと、最初から「絶賛!」と感じたわけではなかった。

でも小さな棘のように頭の片隅にひっかかったのと、今の自分自身と縁があったのだろう、
回を重ねるうちに、今では映画の中のタミちゃんや蛭子家の三兄弟、

潮風にゆらゆらと舞う干し蛸の“タコ踊り”に、

なんども出会ったような気にさえなっている。

 

この映画を育てるために監督の纐纈あやさんは、

座談会や映画上映後の挨拶を通して島について語り、考える活動を続けている。

そのプロセス全てが「祝の島」という映画の育ち方なのだと思う。

でもここでは恥ずかしながら、映画そのものが私の中でどう育ったのかを、

ちょっと振り返ってみたい。

 

初見は東京での試写会。

「原発はんた~い!きれいな海を守れ~」

そう叫びながら進む島人のデモ行進が、(不謹慎だが)まるで日課の散歩や、

ちょっと気張った祭のようにみえてしまうくらい、

原発反対運動がこの島の生活の一コマになっていることに衝撃を受ける。

映画の作り手の暖かな目を通して描かれた島の日常を見て、

島人たちがこの問題によって引き裂かれてきた歳月と苦しみに思いをはせる。

 

だがその一方で、“原発問題に揺れる島”という、

映画館の外から持ち込んだ先入観のせいか、

研究調査の場に身を置く自分の立ち位置がそう思わせたのか、

推進派の島人の姿がみえないことに、消化不良を感じたのも事実。

日ごろから調査対象と微妙な距離を保つことに気疲れしているわが身と、

「祝島の人たちが好きになっちゃったんです」とまっすぐに話す纐纈監督とを比べて、

一抹の違和感がのこる。

今思えば、監督と島の人々の深い絆と、監督の潔い姿勢に対する、

羨ましさの裏返しだったのかもしれない。

 

2回目、初回とは全くちがった印象。

まぶたの裏に焼きついたのは、平萬次さんというおじいさんの祖父、亀次郎さんが、
大きな岩を一つ一つ動かし、何十年もかけて造り上げたという立派な棚田。

山の斜面に積み上げられた巨大な岩壁の下に、黄金色の稲穂がたなびく。小さく動く人影。

その向うには、どこまでも続く海の水面がキラキラと輝く――

上関原発の予定地は、平さんが今日も棚田から見下ろしているだろう、

この海の途中にある。

 

今、孫の孫の代にまで米を食わせているこの棚田。つくった亀次郎さんは生前、

「棚田も、いずれは原野に戻っていく」と話していたそうだ。

こんなすごい言葉を、初回見たとき、わたしは聞き落していたらしい。

 

「祝の島」には、島を取り囲む海の遠景がたびたび登場する。

それは風景ショットの単なる挿入ではなく、

島の人々の営みに近づいた後に、カメラは大切なところで、

かならず祝島の大らかな大地と海へ、遠く帰っていくようにみえた。

人間の身の丈に合った小さな暮らしを、大きく包み込む自然の姿、

人類が滅びてもそこに在り続けるだろう、地球が発する言葉が聞こえたような気がした。

少なくとも亀次郎さんには、その声がよく聞こえていたにちがいない。

 

3回目に見たとき、脳裏に浮かんだ言葉は、「循環」。

島の暮らしは、めぐりゆく季節に寄り添う。

人はここで生まれ、育ち、そして後の世代にバトンを渡して死んでいく。

 

夕食後、毎日欠かさずお茶を飲みに集うお年寄り。

お茶会は日々おなじようにみえて、一年という時間の循環のなかにある。

大晦日のお茶会。炬燵でうとうとしつつ「紅白」を眺めていたお年寄りたちは、
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時の鐘を合図に少し改まって「おめでとうございます。本年もよろしく」と挨拶を交わす。

来年も同じ日がめぐってくるかなんてわからない、と笑い合う。

 

人が集い、そう長くはない時間をともに、この地球上で生きて行く、

その儚くも貴い「時間」が、この映画にはちゃんと刻まれている。

 

 

――――映画「祝の島」は、頭の固いわたしの中でも、こんな風に少しずつ育ってきた。

ひとりの島民、人間たち、地球…それぞれが歩みゆく大小さまざまなループが、

たまたま交差する一点に、今日というこの日があることを、この映画は教えてくれる。

 

原発とは確かに、その循環を脅かしうるものだ。

 

でも、私がおもうこの映画の良さは、

二十余年もの間、原発反対を訴えることを暮らしの一部とし、

生きる力にせざるを得なかった人々の悲しみと憤りとともに、
監督が愛してやまない島の人たちの“普通の”暮らし、
そのような人間の生の強さやある種のしたたかさ、
さらに人間なんか遥かに超えて、圧倒的にそこにあり続けるはずの海と大地が、
ていねいに描き出されていることだ。

 

1000年先にいのちはつづく」

 

島の人々とともに、暮らすように撮ったというこの映画の、

深くて広いまなざしをよく表した言葉だと、今は思う。

 

            丹羽朋子(文化人類学研究 / 本の企画・編集 )

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 中国の黄土高原、陝北地域の農村家庭にホームステイしながら、
 切り紙など暮らしの中に息づく民間芸術について、調査・研究中。
 今春、日中の出版界をつなぐプロジェクトとして、

 「一芯社図書工作室」を立ち上げました。

  http://yixinshe-books.jimdo.com/

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